Canon EOS5 QD (Camera #007)

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デジタル一眼レフカメラのEOS 5Dではなく,1992年に登場したフィルム一眼レフカメラのEOS5です。EOSの後に半角スペースがあるかないか,という微妙な違いがありますが,EOS5 QDというのは日本国内向けの名前で,日本と北米以外ではEOS 5という名称だったのでさらに混乱しそうです。また国内向けのEOS5 QDのマニュアルにはEOS 5QDと書かれていてまったく一貫性がありません。まぁ,だからどうだっってことはないのですが,たぶんメーカーも何も考えていなかったのでしょう。

EOS5は視線入力が初めて搭載されたカメラでした。私の場合,最近流行の瞳AFと聞くと視線入力のことかと思ってしまうのですが,当時のカメラを知らない世代の人は視線入力とはなんのことか意味がわからないかもしれません。EOS5には測距点が5つあって,中央がクロスセンサー,両側2個づつの4個は縦センサーでした。イマドキのミラーレスならセンサーのほぼ全面でピント合わせが行えますが,当時は5つの測距点でも測距点の数としては多かったのです。それで,たくさんの測距点からピントを合わせるための1つを選ぶのはたいへんだろう,という発想がでてきます。ファインダーをのぞきながら,ピントを合わせたい測距点を見つめるとその測距点が選ばれてピント合わせが行われる,という画期的な機能が「視線入力」だったのです。メガネをかけていない人はそれなりに視線入力で測距点を選ぶことができましたが,メガネをかけているとあまりうまくいかないこともあったようです。私自身はメガネをかけていないので,ほとんど不便を感じることなく,視線入力の恩恵にあずかることができました。瞳の個人差に対応するためにキャリブレーションの機能があったりしてとても未来的な雰囲気を出していたカメラです。

EOS5のあと,EOS55, EOS-3, EOS 7, そして2004年発売のEOS 7sまで視線入力のカメラが続きますが,この頃から現実的な価格でAPS-Cのデジタル一眼レフカメラが発売され始めてそれにあわせてフィルムカメラが終息にむかいます。視線入力はデジタル一眼レフカメラには受け継がれなかったと私は記憶していますが,ひょっとしたら勘違いをしているかもしれません。ところが,どういうわけか2021年になって,新たに発売が予告されたミラーレス一眼カメラEOS R3において視線入力の搭載がアナウンスされています。EOS-3では測距点が45点になり視線入力による測距点の選択は合理的な仕組みであるように思われました。ただ,測距点選択の精度はそれなりに厳しいものがあったようです(単なる私の思い込みかもしれませんが)。当時は,そんなにたくさんの測距点はいらないよね,などと言って,高価なEOS-3を買えない言い訳をしていましたが(完全に「酸っぱいブドウ」状態でした),ミラーレス一眼で視線入力が復活したのにはそれ相応の技術の進歩と合理性が見直された,ということなのでしょう。EOS R3も酸っぱいブドウなのでとても買えそうにありませんが,どんなカメラになるのかはちょっと興味があります。

話がそれました。このEOS5は自分で買ったはじめての一眼レフカメラでした。当時,開店したばかりのとても小さなカメラ屋さんが,発売されたばかりのEOS5をたいへん安値で売っているという折り込み広告を入れていたので,カミさんといっしょにお店に行ったことを今でもよく覚えています。このお店はデモ機として仕入れた個体をデモに使わずに新品のまま売ってしまう,という禁じ手で安値を実現していたようです。当然,1台限りの特価だったのでもともとEOS5を買う気満々だったこともあって,即決で買って帰りました。そんなわけで,この個体の背面下部には「DEMO」という刻印が入っています。

1992年1月の釧路沖地震のときにはじめて地震被害の調査に連れて行ってもらったときに持って行ったカメラが(何を持って行ったのか忘れましたが)イマイチでちゃんとしたカメラが欲しいと思ってカメラの物色を始めていた時に鳴り物入りで登場したのがEOS5でした。釧路沖地震以降,1994年の北海道東方沖地震,三陸はるか沖地震と立て続けに地震がおこり,三陸はるか沖地震の調査から帰った途端に1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生しました。このカメラはこれらの地震の調査に持って行ってそこで何が起こったのかをフィルムに焼き付けてきました。今のカメラのように防塵防滴構造なんていう洒落たものはない時代でしたが,粉塵が舞う地震被害の現場で故障一つせずよく働いてくれました。

その後も台湾,トルコ,中国などを連れ歩き,2000年鳥取県西部地震や2001年芸予地震の調査,2001年から2002年にかけて約1年のアメリカ滞在にも連れて行きました。この間,2001年頃に買ったミノルタのデジタルコンパクトカメラ,DiMARGE F100が速写性,解像度,画質において調査での実用になることがわかってきました。2001年のアメリカ滞在のころから少しずつF100で写真を撮るようになり,2004年新潟県中越地震ではF100だけで被害調査を行いました。それ以降,EOS5の出番はすっかりなくなってしまいました。

それでも,このEOS5はほぼ10年にわたって世界中を連れ歩いて使い倒しました。デモ機として頑丈に作られていたのか,あるいはたまたまアタリの個体だったのかはまったくわかりませんが,故障することなく必要な時に必要な写真を残してくれました。明るく見やすい代わりにピントの山がほとんど掴めない素通しのようなファインダーには閉口しましたが,AFで使う分には快適でした。MFで使うことは想定されていないカメラだったのでしょう。

ここ15年ほどは電源も入れずに放っていたのですが,電池を入れたらちゃんと動きました。シャッターも切れるし,フィルムも巻き上げるし,AFも動作します。新品で買ってからほぼ30年が経っていますが,ちゃんと生きていました。このことは,ちょっとした驚きでした。バブル経済がはじけるタイミングと相前後して発売されたEOS5は色々な意味で贅を尽くして作られたカメラだったのかもしれません。

久しぶりにEOS5に電池を入れて30年前のカメラが動く様子を見て,色々なことを思いました。
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Pentax KX (Camera #006)

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デジタル一眼レフのPentax K-xではなく,フィルム一眼レフのAsahi Pentax KXです。

クイックリターンミラー方式の一眼レフカメラでカメラ市場を席巻した旭光学は,カメラの高機能化や利便性の向上にあたってM42マウントが足かせになることを予見してバヨネット式マウントカメラの開発を進めていました。しかし,M42マウントのカメラがあまりにも売れたことが新しいマウントへの移行の決断を遅らせることとなっていました。

しかし,1975年に満を持して投入したのがAsahi Pentax Kシリーズ,K2, KX, KMの3台のカメラでした。このマウントをKマウントと呼び,AFへの対応など変化をしながらも物理的な形状については変わることなく現在まで続く息の長いマウント規格です。ちなみにKマウントのKはKingのことだそうです。マウントの王様。

KシリーズはM42マウント時代のカメラよりもサイズが大きくなって,新たにラインナップされたKマウントレンズも大きくなりました。大型化は市場ではあまり受け入れられず,1年ほどで小型化したMシリーズに置き換えられてしまいます。

KXは最初のKマウントカメラのなかの中間グレードとして投入され,M42マウントのベストセラーであったPentax SPの流れを汲む機械式カメラです。最上位機種のK2が電子式の縦走り金属膜フォーカルプレーンシャッターを採用していたのに対してKXとKMは機械式の横走り布幕フォーカルプレーンシャッターでした。今となっては機械式の方がメンテナンスが可能という少し皮肉な結果になっています。後継のMシリーズは小型化にあたって無理な設計をしているためか壊れやすいと云う話も聞きます。KXは発売期間が短かったため,Mシリーズカメラほど数は多くないですが,頑丈でメンテナンスしやすいこともあって,今でも実用的な個体が比較的簡単に見つかるようです。

この個体はたぶん父が自分で買って使っていたもので,父がPentax LXに乗り換えたときに私が譲り受けたものだったと記憶しています。昔のカメラにつきものであった皮(?)製のケースがついています。

私にとっては,KXがはじめて使った一眼レフカメラでした。写真を撮るためにはピントをあわせて露出を合わせる,という当たり前のことをこのカメラで覚えました。とはいえ,ネガフィルムだとラチチュードが広いのでちょっとくらいオーバーでもカメラ屋さんのプリンタが強引に補正してそれらしく焼いてくれるので,かなり適当な使い方をしていたと記憶しています。またピント合わせのほうもマット面は暗くて今ひとつピントの山を掴むのが難しく(使っていたレンズが悪かったのかもしれませんが),中央部にあるスプリットイメージなしの丸いマイクロプリズムでなんとかするしかありません。しかし,マイクロプリズムを使ってもはじめて一眼レフを手にした,という当時の(今も?)私の技量では厳密なピント合わせはあまりうまくできず,ボツ写真の山を築いていました。

これも今となっては遠い昔の懐かしい思い出です。
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Rayqual L-M 50・75 (Mount Adapter #006)

Rayqual L-M 50・75

レンズ側:Leica L39 (LTM)マウント
ボディ側:Leica Mマウント
製造(販売)者:Rayqual (宮本製作所)

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泣く子も黙る国産マウントアダプタの雄,宮本製作所のL-Mリングです。宮本製作所は近代インターナショナルを通してマウントアダプタを販売していたようですが,独自のブランドとしてRayqualを立ち上げて自社販売もするようになったようです。Rayqualブランドがすっかり定着して高精度,高級品の代名詞の様になったため,今では近代インターナショナルって誰だっけ?という感じかもしれません。中国のマウントアダプタのメーカーもRayqualの仕様を真似ているフシがあります。

L-Mリングについては,ライカ純正が高くて入手できないならRayqualを,という感じで,ライカM型カメラにL39レンズを取り付けたいなら純正かRayqualを使うのが安心だと,個人的には信じています。中古でもやたら高価なライカ純正は,さすがに精度が危うくなっているものがありそうなので,それならRayqualの新品のほうが安心です。黒いメッキ仕上げで余計な内面反射もなさそうで(心情的に)よい写真がとれるような気がします。

これを使っていてカメラとリングとレンズが互いにはずれなくなったりしたことはありません。1万円ほどで売られていますが(カメラからはずれない事故のリスクを考えれば),その価格に見合う価値はあると思います。
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