Macro-HEXANON AR 55mm F3.5 (Lens #019)

KONICA Macro-HEXANON AR 55mm F3.5
マウント:AR
焦点距離:55mm
開放F値:3.5
絞り羽根:6枚
レンズ構成:3群4枚
最短撮影距離:0.25m
フィルター径:55mm
質量:255.27g (実測値)

Macro-HEXANON AR 55mm F3.5

HEXANONのARマウントのマクロレンズです。ARマウントのマクロレンズはベローズ用の105mm F4を別にすると普通のタイプはこれだけだったと思います。単体での最短撮影距離は25cmで撮影倍率は0.5倍です,等倍リングとセットで販売されていたようで,このリングを使うことで等倍撮影ができる,というものでした。開放F値が3.5なのは無限遠の時だけで,撮影距離が短くなるとどんどん暗くなるようで,どのくらい暗くなるかは繰り出してくる鏡筒に刻印されています。レンズ単体での最短撮影距離ではF5.2まで暗くなるようです。ミラーレスで使っているとファインダーが暗くなるわけでもないので,まったく気がつかなかったりします。

下の写真は距離環が無限遠の場合と最短撮影距離の場合を示しています。撮影距離が短くなると鏡筒がどんどん繰り出してきます。繰り出した鏡筒には開放時のF値が刻印されています。鏡筒先端には3.5と書かれており,最短撮影距離まで近づくと5という刻印が見えます。
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レンズ本体を単体でカメラにとりつけると絞り環は3.5から刻印されているのが見えるようになっていますが,レンズ本体のもともと裏(下)側だった部分にはF5.2から刻印されています。等倍リングにレンズ本体を取り付けるとカメラに取り付ける上下が逆になります。そのため等倍リングを挟むとF5.2から刻印されている部分が表(上)側にきます。

下の写真は等倍リングを挟んだときに上にくる側を見ています。等倍まで近づくと開放F値は7まで暗くなるようです。相当暗いです。
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イマドキのレンズでは無限遠のときだけ開放F値が小さくて撮影距離が短くなると暗くなる,というようなものはありませんが,昔はこういうレンズは珍しくなかったように思います。Carl ZeissのFlektogon 35mmも(マクロレンズではないけど),そういうタイプのものが古い世代にはありました。マクロレンズの場合は,普通は三脚を使うべきものなので,暗くなってもあまり気にする必要はないのかもしれません。一眼レフの場合は,ファインダーが暗くてピント合わせがたいへんだったのではないか,と想像します。しかし,ミラーレスで使うならファインダーは勝手に明るさを調整してくれるし,感度を上げれば手ブレもある程度は抑えられますから,今となってはあまり気にしなくて良さそうです。

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このレンズによる作例をこちらにおいています。よろしかったらご覧ください。

Topcor-S 5cm F2 (Lens #018)

Tokyo Kogaku Topcor-S 1:2 f=5cm (中期型;黒絞り)

マウント:L39
焦点距離:50mm
開放F値:2
絞り羽根:10枚
レンズ構成:4群6枚
最短撮影距離:1m
フィルター径:40.5mm
質量:281.38g (実測値)

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1957年頃に発売されたレオタックスTVやその後のFVについていたレンズです。Topcor-S 5cm F2はSがつかない初期型,Sがついた白鏡筒の前期型,黒絞りの中期型,黒鏡筒の後期型と変遷します。中期型までが真鍮製の鏡筒で,それぞれ異なる光学系で写りも異なるようです。巷では中期型の写りがもっともよい,という話もあります。東京光学のライカスクリューマウント(L39)用のレンズについてはTopcon Clubに詳しい解説があります。また,中期型についてはここにも少し解説があります。

戦前からの光学メーカーには東京光学と日本光学が有名で,陸のトーコー,海のニッコーと戦時中は呼ばれたようにそれぞれ陸軍や海軍に光学機器を納めていました。東京光学は1981年に民生用カメラ事業から撤退し医療機器や測量機器などに特化します。1989年にはブランド名だったトプコンが社名となり,2008年には測量機器メーカーのソキアを完全子会社化して測量機器部門を強化しています。一方の日本光学はニコンと社名を変え,現在もカメラやカメラ用レンズを製造しています。

東京光学は当初はバルナックライカコピーのレオタックスにTopcorレンズを供給するのみで自前のカメラは作っていませんでした。しかし,1954年のM型ライカ(M3)の登場によりバルナックライカが時代遅れになったため,日本のカメラメーカーは一斉に一眼レフに向かいます。その流れにあわせるように東京光学は1957年にexaktaマウントを採用したペンタプリズム付きフォーカルプレーン式一眼レフカメラTopcon Rを発売します。レオタックスカメラはそれと相前後する1959年に倒産しています。それ以降,東京光学は一眼レフカメラとそのレンズの製造を1981年まで続けています。

東京光学がL39マウント用のレンズをいつから作っていたのかよくわかりませんが,M3が出るまでの1950年代前半が全盛期だったと想像されます。黒絞りの中期型Topcor-S 5cm F2が出た頃は既にバルナックライカコピーのレンジファインダーカメラは斜陽に向かっていた頃と思われます。そういう意味では十分に熟して充実した内容のレンズができたタイミングだったのかもしれません。

Topcor-S 5cm F2は4群6枚構成の典型的なダブルガウス型のレンズです。L39のTopcorレンズの比較はここに挙げられていますが,5cm F2のなかでは中期型が一番よい,というのもそうかな,と思わせるものがあります。

この個体は絞りを閉じていくと開口部が少し歪な形になってしまいます。おかげで相場より少し安く入手できました。絞り羽根が歪んでいるようなので,きちんと整備をしないと寿命を縮めることになることはわかっているのですが,実用上の支障がないためついつい横着をして放置したままでいます。

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このレンズによる作例をこちらにおいています。よろしかったらご覧ください。

120,000 km

自家用車の総走行距離が111,111 kmに到達したのが2019年3月14日でした。その後,走行距離は伸び悩んで,先日,2020年11月8日にようやく12万kmに到達しました。9千km弱走るのに1年8ヶ月ほどかかったことになりますが,10万kmくらいまでは年間1万km以上走っていたので,急に乗らなくなったということのようです。

12万km走るのに12年4ヶ月ほどかかった勘定です。この2年ほどで年間平均走行距離が一気に小さくなりました。

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次にキリのよい数字は123,456 kmですが,あと3千kmあまりを走り続けることができるかどうか,微妙な気もしますがここまできたら頑張って欲しいものです。